東海エリア探訪記
2022/02/24
[ 三重県 津市/関町] 土用の丑の日に鰻を食べるようになったのは、江戸時代中ごろ、平賀源内(1728-80)という奇才が「夏は鰻が売れない」と相談されてキャッチコピーを考え、いつのまにかそれが根づい […]
東海エリア探訪記
2021/12/15
山里に暮らしてみたい。海辺もいい。ことあるごとに考えてきた。定年退職したら移住したいと思い描いている人は少なくないだろうが、コロナ禍でリモートワークが広がったのを機に、実行に移した人もいる。 長年の […]
東海エリア探訪記
2021/10/12
運転免許をとってから、何度とはなく海岸沿いの道をあてもなくドライブしてきた。なにかちょっとしたきっかけを見つけては楽しんだ。紀伊半島を一周しようと思いたったのも、三重県の最南端、熊野川の河口にある日 […]
東海エリア探訪記
2021/08/19
はじめて新宮を訪れたのはミカンの季節で、路上で売る人が目についた。朝市というわけではなく、年配のミカン売りが点々と座り込んでいた。たしか大きな黒いゴミ袋いっぱいに入って500円で、ずいぶん安かった。 […]
東海エリア探訪記
2021/06/14
熊野は紀伊半島南端、三重県と和歌山県にまたがって広がる。熊野川が両県を隔てる、おおよその境目となっている。歴史をひもとけば同じ紀伊国であり、紀伊藩だったが、廃藩置県で行政区をたがえることになった。熊 […]
東海エリア探訪記
2021/04/13
はじめて私が熊野古道を訪れた1990年代はまだ、知る人ぞ知る、ずいぶん鄙びた場所だった記憶がある。江戸時代に流行ったお伊勢参りでも、熊野まで足を伸ばしたのは10人にひとりいるかどうかで、ほとんどは高 […]
東海エリア探訪記
2021/02/18
ヤシノミ洗剤で家庭でも馴染み深いサラヤが、熊野で梅酒をつくっている。なんとも意外な組み合わせで、しかも住所を頼りに山中の道をひたすら走り、ようやく辿り着いたのは古い木造校舎。ますます謎は深まるばかり […]
東海エリア探訪記
2020/12/16
地域に貢献したい。熱い思いを胸に秘め、東京で働いていた東幸輝さんが生まれ故郷の紀伊長島に戻ったのは2012年のことだった。きっかけは前年に起きた東日本大震災。あのとき多くの人が強い衝撃を受け、自分に […]
東海エリア探訪記
2020/10/28
このままでは自分のイメージしていた大人像に近づけない――。それが家業でもなんでもないノリの養殖を西村友一さんがはじめる、いちばんの動機だった。 1979年に生まれ、親族の経営する土建屋で働く父ら大 […]
東海エリア探訪記
2020/08/27
阿曽浦は入り組んだリアス式海岸の奥の奥に広がる入り江の集落で、漁村ならではの匂いとたたずまいが広がる。細い路地をぐるぐる回ってもなかなかたどり着けず、郵便局に聞いてもわからない。あてもなくさまよって […]
東海エリア探訪記
2020/06/24
介護保険は1997年に国会で制定され、2000年から施行された。このころから日本の社会は大きく変わっていったとの印象があるが、少子高齢化が大きな要因のひとつなのはたしかだろう。「自己責任」という言葉 […]
東海エリア探訪記
2020/06/05
地方を訪れると、思いもかけなかったことを知ることがある。 「どうして関東とか関西というか、知ってます?」 関で江戸時代から14代もつづく和菓子屋、深川屋の主・服部吉右衛門亜樹さんに問いかけられ、虚 […]
東海エリア探訪記
2020/02/19
三木清の書いた「旅について」という一文を読んだのはたしか、現代国語の教科書だった。旅は過程であるとしたうえで、到達点や結果が問題ではなく、過程が大切なのだとした。さすが哲学者の書いたものだけに、高校 […]
東海エリア探訪記
2019/12/24
動物園や水族館の飼育員になりたい。子どものころ、だれもが一度は考えることかもしれない。小学校の生き物係はみんながやりたがり、ジャンケンで決めることも多いだろう。熊本出身の一野愛美さんは水族館で働きた […]
東海エリア探訪記
2019/10/29
魚が獲れなくなった。いまから30年前の1990年代はじめ、東京新聞に「海辺の風景」という記事を1年間にわたって連載するため、毎週のように漁船に乗せていただき、沖に出ていた。そのとき、そんな愚痴を漁師 […]