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東海エリア探訪記

過去・現在・未来をつなぐ熊野[ 和歌山県 新宮市 ]

2021.06.14

熊野本宮大社でお参りをする人。訪れたのが朝早かったのもあり、静寂に包まれていた。

 熊野は紀伊半島南端、三重県と和歌山県にまたがって広がる。熊野川が両県を隔てる、おおよその境目となっている。歴史をひもとけば同じ紀伊国であり、紀伊藩だったが、廃藩置県で行政区をたがえることになった。熊野市が三重県で、熊野三山は和歌山県なのはそのためである。
 なんだか妙な話ではあるのだが、和歌山は関西で近畿であり、三重は中部で東海だとの地理感覚もあって、ずっと惑わされている気がした。熊野本宮大社はこの近くなのかと思いながら国道を走り、熊野川沿いのスーパーでお弁当を買おうとしたときもそうだった。ナビの通りに行っているつもりなのに、同じところをぐるぐる回るばかりで、どうしても辿り着けない。スーパーを見落とすはずはなく、気ばかりが焦る。ようやく出会った通りすがりの人に尋ねたら、何度も行きすぎた建物の一角だという。改めて行ってみると少し坂になっていて、たしかに見えにくかった。
 コンビニよりも狭いくらいの店は閉店の時間が迫っていて、弁当の類いはすでに売り切れていた。どうしようかと考えあぐねて棚を見ていたら、年若い女性に「こんにちは」と声をかけられた。「こんにちは」と返すと、また「こんにちは」と言われた。変わった子だなと思い、店をあとにした。そういえばまだお参りしていなかったと思い、翌朝、予定よりも早く宿を出て、本宮に出かけた。新宮の市内から車で小一時間というところだった。運転しながら、行く末ばかりを考えていた。
 到着して、まず大斎原というところに行ってみた。もともと神社はここにあったが、明治時代に川が氾濫して流されてしまったのだそうだ。形容しがたい強い気を感じる場所で、それがここに神社を建立する謂われであったのは容易に想像できる。興味深いのは天皇が伊勢神宮と結びついているのに対し、上皇は熊野にお参りしたこと。とくに後白河上皇は34回も訪れている。
 ついで階段を上り、本宮をお参りした。そこで不思議な経験をした。スーパーで声をかけてきた女性と再会したのである。熊野のお使いである八咫烏をあしらった授与品を境内で売っていたので、ひとつ買い求めた。今度は言葉を交わすことはなく、来たのをたしかめるような顔つきをしていた。本当に昨夜の人だったのだろうかと何度も振り返ったのはいうまでもない。
 それから新宮の市街地にある熊野速玉大社に向かった。「蟻の熊野詣」と呼ばれた時代、皇族や貴族は100人以上の行列をなし、途中、王子と呼ばれる神社で歌会などを催しながら雅に旅した。高貴な人はおそらく馬に乗り、お金のある商人は海を船で移動したとの記録も残る。川沿いの道を走りながら、来るときとは逆に、昔のことばかりがやけにリアルに思い出された。過去を振り返るというより、そのときに引き戻されたかの鮮明さだった。
 この感覚はなんだろうと戸惑っていると、熊野速玉大社は過去、熊野那智大社は現在、そして熊野本宮大社は未来と通じているのを知る。それが本当なのか、神社で聞いてみた。
「その通りです。ただいわゆる時制のうえでの過去というわけではないのでご注意ください」
 なんとも哲学的な謎かけに戸惑いつつ、その意味を知るため、いつの日か熊野古道を通しで歩いてみたいと思った。

大斎原の周辺。建物を喪失したことで、却ってその存在を気配として感じさせる。

文・写真/増田 幸弘(編集者)

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