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東海エリア探訪記

地域の足としてのローカル線

2022.08.19

病気をしたりすると、地域の足としての公共交通機関の大切さに気づく。写真は三岐鉄道。

 旅行をしたり、出張するとき、時刻表を見ていたのはいつのころまでだったろうか。スマホのアプリで簡単に調べられるようになってから手にすることもまずなくなったが、昭和の時代にはぶ厚い時刻表が一家に一冊はあり、切符売り場にも備え付けられていた。ダイヤグラムと呼ばれる運行図を読み解き、計画をたてたのである。「ダイヤ改正」などという言葉はそこからくるのだが、「ダイヤ」がなにを意味するのか、いまではピンとこない人も少なくないだろう。

 どうすれば安く行けるのか、最短距離で行けるのか、あるいは途中で寄り道をするにはどうすればよいのかなど、いまではアプリがすぐに教えてくれることも、自分で調べ、考えなくてはならなかった。ちょっとした頭の体操にもなり、松本清張はそうして『点と線』のトリックを思いついたと言われる。日本交通公社(現JTB)の発行する『旅』という雑誌の1957年(昭和32)2月号から翌58年1月号まで、1年をかけて掲載された推理小説である。意外なことに連載当初は反響があまりなかったものの、完結後に単行本にまとめられると人気を博して映画化され、松本清張ブームを引き起こした。

 ベストセラーの背景に、それだけ鉄道が身近な存在だったことがある。時刻表には全国に張り巡らされた鉄道網が誇らしげに掲げられていた。中学や高校を卒業してすぐに就職する若者は「金の卵」と呼ばれ、全国各地から「集団就職列車」で上京し、高度経済成長を支えたのである。しかし、モータリゼーションの発展で「使命を終えた」として、80年代には一転、「赤字ローカル線」が社会問題となる。

 三重を回るにあたり、意識して電車で移動した。運転するのは神経を使い、事故のリスクもあるのに、目的地が駅から離れているとか、乗り換えの接続がよくないなどといった理由から、車のほうが効率的で楽だと思い込み、つい車にしてしまうからだ。運転免許を取得してからずっとそうだったし、とくに子どもが小さかったころは車以外は考えられなかった。

 とはいえひとつの県を公共交通機関だけで移動するのは、なかなかたいへんなことである。三重の前に取材した岐阜県では、全域を車で回った。鉄道やバスでもできなくはないのかもしれないが、山がちなのもあり、効率はかなり悪いだろう。東京でさえ西部の奥多摩エリアは深い山並みに囲まれる。 

 意外なことに、三重県は公共交通機関がずいぶん発達していて、JRと近鉄が幹線として名古屋と大阪方面を結ぶほか、伊勢鉄道、三岐鉄道、伊賀鉄道、養老鉄道、四日市あすなろう鉄道が地域をめぐる。駅まで迎えにきてもらったり、アポの時間と接続の問題からタクシーで長距離移動したこともあったが、それでも熊野と志摩半島以外は公共交通機関で回れた。

三岐鉄道の切符は昔懐かしい硬券で、鋏を入れる。電車に乗ること自体が特別な体験に思えてくる。

 これは実はすごいことなのかもしれないと思ったら、本当にすごい歴史があった。伊勢鉄道は赤字ローカル線と指定されたことで国鉄から第3セクターになったものだし、伊賀鉄道にしても近鉄の路線を公有民営方式で継続している。地域の足を絶やさないため、努力と工夫が重ねられてきたのである。

 国鉄民営化から35年が過ぎた2022年、JR西日本は関西線の亀山(三重県亀山市)・加茂(京都府木津川市)間を赤字路線として公表した。名古屋と近畿を結ぶ幹線だっただけに驚きの声も上がったが、その行方を見守りたい。

文・写真/増田 幸弘(編集者)

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