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東海エリア探訪記

鰻の地方色

2022.02.24

初音(関町)の鰻重。鰻が何切れかで値段が決まる。

[ 三重県 津市/関町]

土用の丑の日に鰻を食べるようになったのは、江戸時代中ごろ、平賀源内(1728-80)という奇才が「夏は鰻が売れない」と相談されてキャッチコピーを考え、いつのまにかそれが根づいたとの通説がある。本当かどうかは定かではないが、広告やマーケティングの考えがすでに芽生えていたのはたしかなのだろう。

 この逸話の通り、実際の鰻の旬は冬なのだが、それは天然物の話で、市中に出回る養殖物は土用の丑に合わせて育てられているので、夏がいちばんおいしいともいわれるから話は厄介である。しかも近年、絶滅が危惧されるほどシラスウナギの不漁がつづき、鰻の値段が高騰。おいそれとは口にできなくなっている。それでも芳ばしい煙の匂いがどこからともなく流れてくると、財布の紐を緩めてつい暖簾をくぐりたくなる。

 鰻は思いのほか地方色豊かな料理だ。関東は背開きしたものを蒸すのに対し、関西は腹開きしたものを蒸さずに焼くというちがいは基本中の基本で、さらに地域によって、あるいは店によってちがいがでてくる。三重にも三重ならではの鰻がある。

 中心となるのは津で、ざっと20軒あまりの鰻屋がある。なんでも人口比でいちばん多いと言われるほどなのだが、全国的には鰻の街とのイメージは薄く、意外な気もする。生産量は圧倒的に鹿児島が多いいまも、鰻と聞けば浜名湖を思い浮かべるのとは対照的だ。

 津に鰻屋が多いのは、戦前から戦後にかけてこの地で養鰻業が盛んだったものの、1959年の伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けてすたれた名残である。一方、この台風で水田を流されたのを機に養鰻業へ転換し、全国2位にまで成長したのが一色町(愛知県)だった。

 新玉亭という津で1890(明治23)年に創業した鰻屋に行ってみた。昔ながらの老舗を想像していたら、4階建てのビルだった。3階と4階は宴会席で、合わせて250席もあるというのだから、それだけで津の人たちと鰻の深い関係が見て取れる。

 おもしろいのがメニューだ。普通、鰻といえば松竹梅に分かれている。きっと肉質に差があるのだろうと思って店の人に尋ねるたび、どこにいっても蒲焼きの大きさだと言われ、そのうち気にならなくなった。その点、新玉亭では小丼(1切)、並丼(2切)、中丼(3切)、上丼(4切)、特上丼(5切)という具合に、鰻が何切、ご飯の上に乗っているかで分けているのがわかりやすく、なんだかおもしろい。

新玉亭の鰻丼。大盛は中盛を完食できた人だけが挑戦できる。

 関にある初音も同じく「梅うなぎ丼(二切れ)」「竹うなぎ丼(三切れ)」とメニューにあった。たった二軒を比べただけで三重では鰻を何切れかで表示するのが習わしとは言えないが、それでもそうしている店が少なくないのはわかる。この初音も店の規模が大きく、しかもびっくりするほどの人気店だった。整理券を受け取り、店外の電光掲示板に番号が表示されるまで車のなかで待つ仕組みになっている。待っている人と立ち話をしたところ、なんでも滋賀県からはるばる定期的に通っているとのことだった。

 ともに鰻は蒸さない関西風。ぱりっとした食感で、焼いた魚に共通した風味が口いっぱいに広がる。関東の蒸した鰻に慣れているせいか、鰻もまた魚なのだという当たり前の事実を突きつけられる。どちらがおいしいかというわけではなく、この食文化の豊かな多様性が日本という国の風土なのである。

文・写真/増田 幸弘(編集者)

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