東海エリア探訪記
2020/10/28
このままでは自分のイメージしていた大人像に近づけない――。それが家業でもなんでもないノリの養殖を西村友一さんがはじめる、いちばんの動機だった。 1979年に生まれ、親族の経営する土建屋で働く父ら大 […]
東海エリア探訪記
2020/08/27
阿曽浦は入り組んだリアス式海岸の奥の奥に広がる入り江の集落で、漁村ならではの匂いとたたずまいが広がる。細い路地をぐるぐる回ってもなかなかたどり着けず、郵便局に聞いてもわからない。あてもなくさまよって […]
東海エリア探訪記
2020/06/24
介護保険は1997年に国会で制定され、2000年から施行された。このころから日本の社会は大きく変わっていったとの印象があるが、少子高齢化が大きな要因のひとつなのはたしかだろう。「自己責任」という言葉 […]
東海エリア探訪記
2020/06/05
地方を訪れると、思いもかけなかったことを知ることがある。 「どうして関東とか関西というか、知ってます?」 関で江戸時代から14代もつづく和菓子屋、深川屋の主・服部吉右衛門亜樹さんに問いかけられ、虚 […]
東海エリア探訪記
2020/02/19
三木清の書いた「旅について」という一文を読んだのはたしか、現代国語の教科書だった。旅は過程であるとしたうえで、到達点や結果が問題ではなく、過程が大切なのだとした。さすが哲学者の書いたものだけに、高校 […]
東海エリア探訪記
2019/12/24
動物園や水族館の飼育員になりたい。子どものころ、だれもが一度は考えることかもしれない。小学校の生き物係はみんながやりたがり、ジャンケンで決めることも多いだろう。熊本出身の一野愛美さんは水族館で働きた […]
東海エリア探訪記
2019/10/29
魚が獲れなくなった。いまから30年前の1990年代はじめ、東京新聞に「海辺の風景」という記事を1年間にわたって連載するため、毎週のように漁船に乗せていただき、沖に出ていた。そのとき、そんな愚痴を漁師 […]
東海エリア探訪記
2019/08/05
那智黒という言葉を最初に知ったのは、庭に敷く玉石だった。落ち着いて見える黒光りする石は、ほかの石より値が張った。それから和歌山県の土産として、那智黒という黒砂糖の飴を知った。たしかに玉石と黒飴は似て […]
東海エリア探訪記
2019/06/11
熊野川は奈良県中部の天川村に広がる2000メートル近い深い山々を源に、三重県と和歌山県の県境をなぞるように熊野灘へと注ぐ。河口付近でようやく新宮市の街並みが広がるが、それまでは川の間際まで山が迫る。 […]
東海エリア探訪記
2019/04/19
紀伊半島の海沿いは志摩から熊野にかけて、小さな湾の入り組むリアス式海岸がつづく。紀勢自動車道を走っているうちはよいものの、海岸線に出た途端、方向感覚を失うほど地形が複雑だ。白石湖はそんな海岸にある汽 […]
東海エリア探訪記
2019/02/13
かつて鵜殿村という日本でいちばん小さな村が三重県の最南端にあった。新宮川に架かる熊野大橋を渡ると和歌山県になり、街がはじまる。国道沿いでお年寄りが路上でミカンを売っていた。ゴミ袋くらいはある大きなビ […]
東海エリア探訪記
2018/12/19
扉を開けると、さまざまな障害をもった人たちがそれぞれ一生懸命、なにかに打ち込んでいる。絵を描いたり、楽器を弾いたり、飛び跳ねたり。 「個々人がもともともっているものを表現するとの発想でやっています。 […]
東海エリア探訪記
2018/10/12
カホンはペルー発祥の打楽器である。スペイン語で「箱」の意味があり、四角い箱のうえにまたいで演奏する。もともとは箪笥の引き出しをその場のノリで外して叩いたのが発祥なのだそうだ。低い音から高い音まで多彩 […]
東海エリア探訪記
2018/09/10
昭和40年代、遊び場だった空き地や原っぱが急激になくなっていくなか、最後まで残ったのが神社の境内だった。ちょっとした木立があって、なぜか鹿がいて、遊んでも怒られなかった。大人も集まり、盆栽を展示して […]
東海エリア探訪記
2018/06/19
河が曲がると書いて「かわの」と読む。戦時中、鈴鹿市に合併されるまではひとつの村だったが、いまはJR関西本線の駅名として残る。川が蛇行しているわけではなく、このあたりで本流の鈴鹿川に支流の浪瀬川が流れ […]