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東海エリア探訪記

国道の風景
[ 三重県 熊野市 ]

2020.02.19

七里御浜の海。海岸に沿って国道42号線がつづく。浜松から和歌山まで延長500キロもある。

 三木清の書いた「旅について」という一文を読んだのはたしか、現代国語の教科書だった。旅は過程であるとしたうえで、到達点や結果が問題ではなく、過程が大切なのだとした。さすが哲学者の書いたものだけに、高校生のときからいまにいたるまで、ふとした折に思い出す。

 三重県のなかでも尾鷲から熊野、そして熊野川を隔てて広がる和歌山県の新宮にかけての地域はそんな過程の多い地域である。海あり山ありの地形で、公共交通機関で思い通りに移動するのがむずかしく、しかも移動距離が長いのもあるだろう。目的地に辿り着くまで山のなかの道を延々と走ったり、海沿いの道を走ったりする。

 那智黒石の職人を訪ね、熊野の山深くに向かったときのことだった。ナビは県道34号線のルートと、国道309号線のルートの二つを示した。どちらも同じくらいの時間がかかるようだが、県道は熊野の市街地からほぼ一直線で距離が短そうだった。迷わずそちらを選び、森に囲まれた道を気持ちよく走っていた。しかし、突然、工事中を示すバリケードが道に並び、行く手を阻んだ。なにがあったのかはとくに書いていなかった。すぐ近くの工場で、どうなっているのか、働いている男に尋ねてみた。約束の時間が迫り、焦っていた。

「大丈夫だよ。今朝、うちの従業員も通ってきたって言ってるから」
 地元の人からそう言われ、きっとバリケードはまじないのようなもので、通行注意くらいに受け止めた。林道などではよくあることだ。ナビで見ると目的地はすぐそこで、あと2、3キロにまで迫っていた。道は森に吸い込まれるにしたがって細く、険しくなった。これが熊野かと宇宙的ななにかを感じていると、予期せぬ進入に驚いた工事の人が車の前に立ちはだかった。
「土砂崩れで、この先、通れません」
 地元の人に聞いたことを説明したら、あんなところを通ったのかと目を丸くしている。どうにもならないので引き返し、迂回するので約束の時間よりだいぶ遅れると伝えた。よくあることらしく、すぐに話は通じた。山間に住むとはこういうことなのだろう。熊野市街まで逆戻りし、今度は国道のルートで向かった。途中、小さな店の軒先で特産のミカンを売っていた。
「どれがおいしいですか」
 店の人に聞いてみた。産地や銘柄などをブランドにして判断しがちだが、地元の人はそんなレッテルなど当てにせずに識別できるはずだと期待した。
「好みだからね」
 なんだかつれない返事がかえってきて、テンションが下がった。それでも一袋買い求め、さっそくひとつ、食べてみた。どうやら自分の庭でとれたものらしく、可もなく不可もなくというところだった。道は湖畔に出て、大きなダムが見えてきた。十字路のところに先ほど走った県道が路側決壊で全面通行止との案内が出ていた。

 用事を終えて来た道をまた引き返す。こんな山深くまでくることはもうないかもしれないと思いながら、景色を味わう。熊野市街から七里御浜に出るとすでに夕暮れ近くになっていた。浜でだれかが投げ釣りをしているのを、車を停めてしばらく眺めていた。なにが釣れるのか気になった。自分でもやってみたことがあるが、釣れたためしがないからだ。なんてことはない、こうした過程が熊野の記憶として、いちばん残っている。

文・写真/増田 幸弘(編集者)

国道309号線は熊野の深い山を奈良を経て大阪まで抜ける。「酷道」との異名を取る難所も。

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