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東海エリア探訪記

2023.02.28

農業を通じて学んだ生き方[ 三重県 伊賀市 ]

 近鉄大阪線から伊賀の城下町方面へ乗り換える伊賀神戸駅のひとつ手前、青山町駅から15分ほど歩いた小高い丘に、単独では全国唯一という私立の農業高校、愛農学園はある。1学年20人ほどの小さな全寮制の学校で、2年生から養豚、養鶏、酪農、果樹、野菜、作物の部門にわかれて実習をおこなう。希望者は4年目に農家に住み込む制度もある。

 ユニークな教育方法が評価され、2022年度 グッドデザイン・ベスト100に選ばれた。学校教育プログラムの受賞は今回がはじめて。

「戦争が終わった1945年、食料不足をなんとかしなくてはとの思いからできた集まりが原点です」

 と高校の母体である公益社団法人全国愛農会の坪井涼子さんは言う。会の創始者で、1964(昭和39)年に初代校長となる小谷純一さん(1910-2004)には、「都会が花だとすれば、田舎は根っこだ。根っこがなければ植物は枯れてしまう」との信念があった。しかし、時は高度経済成長のまっただ中。労働力として農村から都会に若者が送り込まれ、農業がほかの産業に比べて評価されない傾向は、なんだかんだと近年までつづいた。

「なかなか生徒さんが集まらず、2次募集、3次募集をかけていました。ようやくここにきて、応募人数が受験者数を上回るようになりました。時代の変化のなか、人の生命を支える農業という職業に関心をもつ人が増えているのかもしれません」

 子どものころから環境問題に興味をもった坪井さんは「このままでは地球は滅びる」と思い詰め、生きづらさを感じていた。社会学を学べば答えが見つかるかもしれないと進学した大学の入学式で、校舎脇の植え込みを作務衣姿で耕す人を見かける。その人が恩師となる教授だった。

「『お前らは生き物としてピチピチ生きているか』と先生は学生に問いかけてきました。こんなに楽しそうに生きている大人が世の中にはいるんだと驚き、それまでの常識が壊されました」

 社会学とはいっても田畑を耕し、作物を育てる型破りな授業で、なにもない山でキャンプ生活をしてサバイバルもした。それでも答えは見つからず、なにをしたいかがわからない。就職活動をしない坪井さんを見かねた教授は、世界から学生を集めて農業指導者を育成する専門学校でボランティアをしないかと導く。

 前提を間違えれば、結果も間違える。現代社会が陥りがちなこのパラドックスを、坪井さんは命の循環である農業を通じて学んだ。

「わかっていないまま就職するのが不安で、1年間、そこで過ごしました。インド、フィリピン、ミャンマーなどの学生と学び、はじめて有機農業を知りました」

インドネシアでボランティア中の坪井さん(中央)と、恩師の故・矢谷慈國教授(右隣)。写真は坪井さん提供。

 次いでアジア各国の農民団体を組織するNGOの仕事でフィリピンに滞在し、日本の代表としてきた愛農の関係者とも知り合う。それが縁で2005年から伊賀に移り住んでおもに機関誌の編集に携わり、誌面では卒業生のその後も紹介する。同級生同士で結婚してミカン農家になった夫婦、就農せずに介護の仕事をする人などさまざまだ。

「大地から恵みを受けて生きることで、農家の人たちは愛とはなにかを直感として理解しています。だからなにがあっても揺るがず、どっしり構えていられる。それはとても格好いい生き方だと思います」

文・写真/増田 幸弘(編集者)