MARKETING MAGAZINE
マーケティングマガジン
東海エリア探訪記
2019.02.13
ミカンづくりへのこだわり
かつて鵜殿村という日本でいちばん小さな村が三重県の最南端にあった。新宮川に架かる熊野大橋を渡ると和歌山県になり、街がはじまる。国道沿いでお年寄りが路上でミカンを売っていた。ゴミ袋くらいはある大きなビニール袋一杯で、たしか500円。そのミカンがおいしくて、おいしくて、道中、食べながら運転した。さすがもぎたてはちがうと思ったものだ。いまでも同じようにミカンを売る店はあるが、以前のように鄙びてはおらず、値段もずいぶん上がっていた。
「少子高齢化の影響ですよ。やめる農家ばかりで後継者がいないので、農作物の生産量が全国的に減っています。この5年あまり、果物の値段は上がる一方でした」
御浜町でミカンをはじめとする柑橘系を育てるかきうち農園の園主・垣内清明さんは言う。父は勤めに出て、母はミカンづくりに精を出す、このあたりでは典型的な兼業農家で垣内さんは育った。気候が温暖で、土地がやせ、水はけのいい御浜町の周辺は、柑橘系を育てる適地なのである。逆に肥沃だとダメだという。垣内さんは当然のように京都にある会社で働きだすが、父の死をきっかけに生きざまを見直し、ミカンづくりを手伝いはじめる。2000年のことだった。
しかし、0.7ヘクタールで農家をしても生活はままならず、新宮川の上流にある小森ダムの掃除をするアルバイトなどをしてしのいだ。3年ほどがんばっているうち、つくったものを市場に出荷するこれまでのやり方では時代に立ちおくれると感じる。農家から農協、卸売業者(荷受)、仲買、小売を経て消費者に届くまでに、ミカンの味は日に日に落ちていく。
「1週間以上はかかります。10日、へたすると2週間になります。それも高齢化で出荷量が減り、ある程度まとまるまで倉庫に眠っているからです。もぎたてのミカンはクエン酸の成分で独特のすっぱさがあるのですが、長い流通の過程で酸が抜けてしまうのです」
思い当たる節はある。昔のミカンはやけにすっぱかったのに、気づくとずいぶん甘くなった。甘いものが好まれることから品種改良が進んだとばかり思っていたが、どうやらそれだけでもないらしい。もぎたては水分をたっぷり含んでいるので実がパンパンに張っているが、時間が経つにつれてぶよぶよしてくるとも。
おいしいミカンを食べてもらいたいとの一心で、垣内さんは直販を試行錯誤する。ちょうどインターネットが爆発的に普及する時期にあたり、新しい時代が幕を開けようとしていた。地域農業の要である農協を通さないことで他の農家との軋轢が生じるが、バイヤーや行政、友人ら多くの人に支えられ、自分の信念を貫いていく。流通ではなく、生産者の側に立ったものの考え方にこだわった。
「モノづくりは基本的に売れるかどうだかわからない商売だと思います。いいモノをつくったからといっても売れないかもしれないし、だからといっていいモノでなければ売れません。だからこそニーズを調査して、入口と出口を見つけなくてはなりません」
0.7ヘクタールからはじめたミカン畑は20年あまりの間に12ヘクタールまで広がり、8人の社員のほか、パートやアルバイトをかかえるまでに成長した。
「人に尽きるものはありません」
苦労を重ねた垣内さんがしみじみ振り返る言葉一つひとつに、地方の底力を感じた。