MARKETING MAGAZINE
マーケティングマガジン
東海エリア探訪記
2018.09.10
聖なるゼロ磁場
昭和40年代、遊び場だった空き地や原っぱが急激になくなっていくなか、最後まで残ったのが神社の境内だった。ちょっとした木立があって、なぜか鹿がいて、遊んでも怒られなかった。大人も集まり、盆栽を展示していた。縁日はいつも楽しみだった。そんな子どものころの体験もあってか、どこに行っても神社に立ち寄る癖がぼくにはある。空き時間も喫茶店でコーヒーを飲むより、神社のベンチなどに座る。なにか暖かなものに抱かれ、心が落ち着く気がするからだ。
瀧原宮は大紀町の深い森にある神社である。伊勢神宮と一口にいっても125社から構成される、途方もない規模の神社なのだが、瀧原宮は内宮の別宮に位置づけられている。伊勢神宮からは40キロほどの距離がある。紀伊半島をぐるりと回るJR紀勢本線の滝原駅から国道沿いをとぼとぼ歩いて15分、道の駅「奥伊勢木つつ木館」に辿り着く。ここがちょうど門前市場になっていて、大きな鳥居が出迎える。伊勢神宮のにぎわいとは一転、静寂に包まれている。40年ほど前、伊勢神宮にはじめて訪れたときもたしかこんなふうに人の気配がほとんどなく、とても神聖な場所に思えた記憶がある。
参道は木立に囲まれる。一歩一歩、歩いて行く。びっくりするほど太い木もあり、いったいどれくらいの樹齢なのだろうと想像する。頓登川の流れがそのまま手水場になっていて、指先に、手のひらに大地を感じる。川は伊勢神宮の手水場である宮川に通じる。ほどなく社が見えてくる。合わせて4社あり、普通は手前から順にお参りしたくなるものだが、まず2番目にある瀧原宮からはじめ、それから最初の瀧原竝宮、やや高い位置にある若宮神社、長由介神社の順番で回る決まりがあるとの御札が立つ。
なんでも瀧原宮は、ゼロ磁場にあたるという。N極とS極の力がせめぎ合っていることから、方位磁石がきかず、針がぐるぐる回るらしい。関東から九州を貫く断層である中央構造線上にあることが影響している。富士の樹海もこの断層にあり、同じく磁石が役に立たないことで知られる。なるほど古来より特別な場所とされる場所に、神社の多くは建っている。興味をもって、腕時計やスマホにある方位磁石の機能を試してみるが、とくになんの反応もない。きっとどこか特定の場所がゼロ磁場なのだろうと思い、社務所で聞いてみる。
「ゼロ磁場? なんですか、それ?」
神職の方がすっとんきょうな声を上げた。もしかするとずいぶん罰当たりな質問だったのかもしれない。するともうひとりの神職が助け船を出してくれた。
「ブログなどでそう書かれている方もいらっしゃいますが、とくにそのような場所が境内のどこかにあるわけではございません」
ゼロ磁場については、それが公式見解なのだろう。とはいえ参道には不思議な木がはえている。樹皮がぐるぐるねじれながら大きくなったのが見るからにわかるのだ。磁場の影響でそうなったと考えられているものの、ほんとうかどうかはわからない。幹に耳を当てると水が流れる音がした。
帰り、木つつ木館に立ち寄った。道の駅らしく、地元の農家の方が持ち寄った野菜や乾物などを売っている。同じものでも値段がちがい、たくさん入っているほうが安かったりする。自分で値段が決められる道の駅のおもしろさだ。ぼくは炊き込みご飯のお弁当と餅菓子を買い、ベンチで食べた。素朴な味が、なによりのご馳走に感じた。