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東海エリア探訪記

2022.07.08

山中で出会った昭和の産業遺産

 NHK教育テレビが世界初の教育専門チャンネルとして開局したのは、1959(昭和34)年のことだった。60年代の半ばころには全国小中学校の教室にテレビが設置され、視聴覚授業と呼ばれる授業が展開された。白黒テレビが一般的で、カラーが登場したばかりの話である。

 視聴覚授業はコメニウスという17世紀に活躍したチェコの教育学者が、視覚や聴覚など五官に訴える教育法を提唱したのがもとになっているとされる。そんな由緒正しい背景があるなんて知る由もなかったが、小中学校で受けた授業風景をほとんど覚えていない私も、視聴覚授業で見た映像の断片だけはたしかに生々しく脳裏に焼き付いている。教室のテレビで教育テレビの番組を見たほか、体育館に集まって映画を鑑賞する時間もあった。あくまで授業の一環なのできまじめな内容が多く、名作アニメだったり、記録映画だったりするのだが、とくに黒部ダム建設(1963年完成)と、輪中の暮らしの映画は印象的で、細部まで覚えている。

 こうした授業は戦後復興を経て高度経済成長にある日本の姿を子どもたちに広く伝える役割があったのだと思うが、私が小学生だった1970年代はすでにその末期にあたり、新宿に日本一の高層ビルとして京王プラザホテルがオープン(1971年)したのが話題になる一方、公害など負の部分が大きな社会問題になっていた。

 巨大な建造物を見るたびになんともいえず感動してしまうのは、そんな子どもの時分の記憶があるからだろう。崖崩れで迂回せざるをえなくなって山中の道を迷い、七色ダムが目の前に現れたときも思わず「これはすごい」と声を上げていた。車が一台止まれるスペースを見つけ、大きなダムという人工物と、木々に囲まれた湖という自然が奇妙に調和する風景をしばし見とれた。

翡翠のような色の水を湛える七色ダム湖

 熊野川の支流である北山川上流に七色ダムができたのは黒部ダムと同時期、1965年のことだった。ダムに付随する七色発電所で水力発電をおこなうほか、上流にある池原ダム湖との間で揚水発電もおこなう。

 一帯が日本有数の多雨地帯であることから電源開発に適しているとして、昭和初期にはじまった計画は戦争で頓挫するものの、戦後、流域に10箇所もの水力発電所をつくる壮大な構想にスケールアップする。しかし、吉野熊野国立公園に指定される地域に相当し、開発で七色の滝と瀞峡という観光名所が水没することから、厚生省が建設に反対した(現在、国立公園の管轄は環境省だが、当時は厚生省、現・厚生労働省だった)。

 高度経済成長の最中、なにより開発が優先された時代に、自然保護の観点から官庁が異議を唱えていたのは注目される。結局、当初の計画からダムの位置をずらし、滝も渓谷も水没させない対策が施された。渓谷の水を枯らさないように放流をおこなうことで発電能力が減少するが、おかげで今日まで景観が守られることになった。

 その一方、ダム建設でいくつかの集落が水没し、地域の産業だった林業は筏を組んで河口の新宮市(和歌山県)まで運ぶことができなくなって衰退する。なにを犠牲にするかとの選択肢が迫られるなか、移動できる人より移動できない自然が選ばれたということになる。  七色ダムも池原ダムも今日、ブラックバス釣りの名所として知られる。通りすがりのダムに時代に翻弄されながら、自然の恩恵にあずかる地域の暮らしが見えてきた。