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東海エリア探訪記

川舟で町おこし
【三重県紀宝町】

2019.06.11

船大工の谷上嘉一さん。熊野川体感塾を主宰し、三反帆の川舟による地域おこしを担う。

 熊野川は奈良県中部の天川村に広がる2000メートル近い深い山々を源に、三重県と和歌山県の県境をなぞるように熊野灘へと注ぐ。河口付近でようやく新宮市の街並みが広がるが、それまでは川の間際まで山が迫る。いまでこそ川に沿って国道168号線が和歌山県側につづくが、かつては三重県側に熊野古道でもある川丈街道があるだけで、昭和30年代に舗装されるまでは古い石畳の道も残っていた。

 そんな山峡の暮らしをかつて支えたのが舟だった。道ではなく川が流域のメインルートだったのである。三反帆と呼ばれる大きな帆をたてた船も往来していた。このあたりでは朝は風が海に向けて吹き、昼からは風向きが山のほうへと変わるのが常で、風の力を借りて新宮から上流に物資を運び、上流から炭を街に運んだ。山で切り出された杉の木は筏を組み、4日ほどかけて流した。集積地である新宮はたいへんなにぎわいだった。

 「一般家庭でも舟をもっているところがたくさんありました。相場的には今日の軽自動車と同じくらいでしょうか。私が若いころは舟一艘が8万円くらいでできました」と舟大工の谷上嘉一さんは言う。以前この地域には10人近くの舟大工がいたというが、いまでは谷上さんをひとり残すのみになった。舟についてはまったくの独学で、だれかについて教わったわけではない。電気関係の会社に定年まで勤めるなか、40年ほど前、30代半ばのときに自分の舟を見よう見まねでつくったのがはじまりだった。熊野川で魚を捕るためである。「アユを捕ったり、ウナギを捕っていました。アユは一晩で100キロくらい捕れました。落ち鮎なので、夜、針で引っかけるのです。アユは良い値がつき、出荷していました。勤めながら、漁でも稼いだわけです」

 川舟は熊野特産のスギのほか、ヒノキ、ケヤキ、カシの木材を組み合わせてつくる。基本はスギで、全体の80%におよぶ。軽くて腐りにくく粘りがあるからだ。船体の両側を支える船梁は強度のあるヒノキ、前後の部分には衝撃を受けても割れたり折れたりせず、見た目にもきれいなケヤキを使う。また川底の補強や櫂には、木のなかでもとくに硬いカシが適している。また川舟というのは地域性が強く、川によって形や構造がかなり異なっている。暴れ川との異名がある熊野川では、どんな激流でもひっくり返らないように船首が大きく反り返っている。それで曲がりやすくなり、操作性も高まる。何百年も変わらない、昔の人の知恵が詰まった舟は日本一との折り紙がつく。

 日常的な用途が失われたいまでも、注文があれば谷上さんは舟をつくる。毎年10月におこなわれる御船祭にも欠かせない。9隻の舟が先を争い、熊野川の河口付近にある御船島を回る熊野速玉大社の神事である。男たちが競う激しい祭りで、本番では必ず新品の櫂を使うのが習わしだ。

文・写真/増田 幸弘(編集者)

舟工房があるあたりの熊野川の流れ。川に沿って壮大な景観がつづく。

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