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ナゴヤ愛
2024.05.30
第19回
平安ブーム到来!時代を超えて「女性」を紡ぐ物語
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』は、『源氏物語』の作者・紫式部が主人公。物語の舞台となる平安時代が話題です。そんな「平安ブーム」の影響で、講演の依頼に引っ張りだこなのが、名古屋市在住の小説家で平安文学研究者の奥山景布子(きょうこ)さん。
2023年に刊行された2冊の書籍『フェミニスト紫式部の生活と意見 現代用語で読み解く「源氏物語」』(集英社)『ワケあり式部とおつかれ道長』(中央公論新社)も大好評な奥山さんに「平安ブーム」についての想いや今後について伺いました。
消えつつある「文学部」に危機感
平安文学研究者の奥山さんにとって、やはり現在の平安ブームは喜ばしいことだといいます。「平安時代の魅力とは?」と伺うと、「戦国や幕末に比べると、狭い世界のことに見えてしまうかもしれません。それでも立場によってモノの見え方が大きく変わる、心理戦の面白さがあると思います」とのこと。
奥山さんは名古屋大学文学部大学院を卒業後、高校教諭、大学専任講師を経て創作の道へ。小説家になった理由としては「自分には、論文を書くより、一般の方向けに歴史や文学をわかりやすく、おもしろく伝えることの方が向いているのではないか」と考えたのだそうです。
背景には「大学の文学部が消えつつあることへの危機感」があったといいます。少子化や大学の世界ランキングなどの影響から、文部科学省の意向で文学部だけでなく、文系の学部全体の縮小が求められています。
「研究する」学部より、「社会に出たときに実践的に役立つ」学部が増加。そのような現状を「研究者」の視点で見れば、確かに危機感を覚えます。このままでは文学を研究する人がいなくなってしまうでしょう。
奥山さんは、「少しでも日本の歴史や文学に興味を持ち、研究する人を増やしたい」そんな想いで書き続けているのだそうです。
歴史はおもしろい話の宝庫
奥山さん自身は愛知県生まれ・愛知県育ちですが、ご両親は九州出身。家庭では「ナゴヤ色」が薄かったため、「自分をナゴヤ人と呼ぶのは少し抵抗がある」と話します。
一方で、歴史小説・時代小説家の奥山さんにとって、ナゴヤは興味深い場所だといいます。第37回新田次郎文学賞、第8回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞した『葵の残葉』(文藝春秋)は、幕末の尾張高須・松平家の四兄弟の活躍を描いた傑作。
それぞれ尾張藩・会津藩・桑名藩・一橋家を継いだ四兄弟は、幕末の激動期には新政府軍と幕府軍に分かれて戦うことになります。
兄弟の中でよく知られているのが六男で会津藩主の松平容保(かたもり)。容保は京都守護職として新選組を統率、会津戦争で新政府軍に大敗した悲劇の藩主です。
しかし尾張徳川家は7代藩主・宗春以外、地元ナゴヤでもほとんど知られていません。「そうなんです。だからこそ、実はこんなにおもしろい物語があることを知ってほしかった」 「歴史はおもしろい話の宝庫」だという奥山さん。「もっともっと知られていない物語を掘り起こしていきたいです」と語ります。
身近にあるコミュニティ&ジェンダー問題
奥山さんが20代のころ、地元では「近所でお茶やお花を習い、その評判を聞きつけて見合いの話が来る」のが結婚までの流れで、とても抵抗があったそうです。今から30年ほど前の話ですが、なんだか平安時代とあまり変わらないような…。
奥山さんにとってありがたいことに、母はそうした地元コミュニティに否定的で、参加しなくていいと言ってくれたのです。母自身が中学卒業後に集団就職で愛知にきた経験から、娘の奥山さんにはもっと自由に生きてほしいと願い、大学に進学する後押しをしてくれました。
奥山さんは名古屋大学へ進学し、『蜻蛉(かげろう)日記』『和泉式部日記』『源氏物語』などを研究。『蜻蛉日記』は『光る君へ』の「学びの会」でもたびたび登場し、主人公(紫式部/まひろ)によって解釈が語られています。『和泉式部日記』は紫式部の同僚で恋多き歌人・和泉式部の遺した日記です。
卒論のテーマに『女性の書いた文学(平安か近代)』を選ぼうと考えた奥山さん。当時は学会で「ジェンダー」などの言葉を用いて発言すると「現代の考えを古典に持ち込むな」と強く否定される雰囲気があったといいます。紫式部に「フェミニスト」と冠した書籍を出版できる時代が来るとは想像もできなかった、と振り返ります。
おススメの『源氏物語』訳
奥山さんが高校生のころ、はじめて手に取った『源氏物語』は「田辺聖子訳」だったそうです。
「おススメの訳は?」と尋ねると、「読みやすさからいえば現代の作家さんが入りやすい」としながらも、奥山さん自身が一番影響を受けているのは「与謝野晶子訳」なのだそうです。
与謝野晶子の訳は明治期の言葉で書かれているため、さらに訳が必要なほど現代のわたしたちには読みにくい文体。しかしそれでも、晶子の感性でとらえた源氏像は、読み返すごとに気づきがあり、おもしろいといいます。
「与謝野晶子は、生涯で三回源氏物語を訳しているんですよ。一度読み通すだけでも大変なこの物語を三度も訳すなんて、すごいパワーだと思いませんか?」
思います!しかし残念なことに与謝野晶子の三度の訳のうち、二度目の訳は関東大震災で焼失し、現存するのは一度目と三度目のみなのだそう。
紫式部が『源氏物語』で表現した「セクハラ」
実は筆者、源氏物語を原作とした漫画『あさきゆめみし』を読んで「光源氏ってなんか気持ち悪い」とモヤモヤしたことがあります。そのきっかけとなったのが「養女・玉鬘(たまかずら)に言い寄る」シーンです。
玉鬘(若い女性)は本当は嫌なのに、源氏(年上男性)との力関係で断れないだけ。それなのに意に介さず接触を続ける源氏。現代の視点で見ると、このシーンはセクハラの構図に似ています。でも当時は、なぜモヤモヤするのか、言葉で説明ができませんでした。
『フェミニスト紫式部の生活と意見』を読むと、こうしたモヤモヤがスッキリと腑に落ちます。本書によると、この部分の源氏の言い分を与謝野晶子は「変態的な理屈である」と訳しているそうです。なんと強烈な!しかし筆者が「気持ち悪い」と感じた理由を晶子に明確に説明してもらったように感じました。
セクハラという言葉や概念は、筆者が漫画を読んだ80年代の日本にはありませんでした。ましてや晶子の生きた明治・大正や紫式部の平安時代には、口にすることすら許されなかったでしょう。しかし権力で女性を思い通りにしようとする男性に「書く」ことで抵抗しようとした女性が、平安時代にすでにいたのです。
紫式部、与謝野晶子から受け継がれたフェミニズム
「実は『フェミニスト紫式部の生活と意見』を書くのは勇気が必要だった」と奥山さん。自らフェミニストを標榜することは、もしかしたら男性読者から忌避され、見放される可能性もあるからです。歴史小説家として、多くの男性読者に支持されてきた奥山さんだけに、悩む気持ちは理解できます。
それでもこの本を出せたことは、研究者として感慨深いとも振り返ります。
そんな奥山さんの今後の自身の在り方を「覚悟」するきっかけとなったのが『やわ肌くらべ』(中央公論新社)を書いたこと。前述の歌人・与謝野晶子を主人公に、夫で雑誌『明星』主宰者の与謝野鉄幹や周りの女性たちとの愛憎を描いた作品です。
与謝野晶子といえば、女性の自立と地位向上に精力的に取り組んだ、バリバリのフェミニスト。そんな晶子が紫式部を師と呼んだことにも納得です。
「わたしはこれから『〝おんなこども〟の物語』を書き続けて行こうと決めました」と奥山さん。
「物語の中で、できるだけ『人を生かしたい』と考えています」歴史の中には辛い運命に翻弄される人々が多く、死は避けられないものです。それでも「『頑張って生き延びようとする人』に焦点を当てた作品を書いていきたい」と奥山さんは語ります。
紫式部と与謝野晶子の魂が奥山さんの中で生き続けており、女性を励まし続ける作品を生み出すことで彼女たちの「志」を受け継いでいくのを感じました。
令和の紫式部、降臨
奥山さんが平安時代に興味を持ったきっかけは「平安時代だったら美人だったのにね」といわれたことだったといいます。その言葉を実感させるできごとがありました。
2024年3月の上賀茂神社(賀茂別雷神社)での平安イベントで、奥山さんは垂髪(すいはつ)のかつらをかぶり、小袿(こうちぎ)をお召しになりました。絵の中から抜け出たようにお似合いで、まさに紫式部が令和の世に降り立ったかのようでした。
(取材・文・イラスト / 陽菜ひよ子)