MARKETING MAGAZINE
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東海エリア探訪記
2020.06.24
人を支え、地域を支える[ 三重県 尾鷲市 ]
介護保険は1997年に国会で制定され、2000年から施行された。このころから日本の社会は大きく変わっていったとの印象があるが、少子高齢化が大きな要因のひとつなのはたしかだろう。「自己責任」という言葉が広まり、社会の問題と個人の問題が区別しにくくなった。実際に親の介護に直面してみると、親の気持ちと子どもの気持ちが擦れ違い、なにもかもがぐちゃぐちゃになって、なんとも息苦しいものがある。
「ぐちゃぐちゃなものをへたに整理することで区別されるようになり、それが差別につながっているのがいまの社会だと思います。そうすることでせっかくの施設や制度が使いにくくなっているのです」
と言う湯浅しおりさん(53)は、介護保険導入から半年後の2001年、尾鷲で特定非営利活動法人あいあいを立ち上げた。17歳ではじめた看護師を辞めて転職したとき、介護のことも福祉のこともなにも知らなかった。ダメならまた病院に戻ればいいくらいの軽い気持ちで、とくになにかを目指していたわけではなかった。当初は業界大手で働いていたが、地域に密着して取り組むにはどうしてもボランティアの要素が出てくる。そこで資本金のかからないNPOを3人の仲間で立ち上げた。
「医療は24時間体制なのに、尾鷲の介護はそうではなかったので、これはやらなくてはと思いました。ずっと自分が緊張していたらもたないので、気楽にできるように夜は無償にしました」
スタッフには子どもを抱えて働きたくとも働けない女性を人づてで集めた。湯浅さんが子育てをするなかで困ってきたを解消するには困らせないようにすればいい、それには子どもを巻き込めば女性も働きやすくなると考えてのことだった。そうして魅力のある職場をつくり、介護の質を上げてブランド化しようとこれまで取り組んできた。
最初は訪問介護だったが、介護施設ではお酒を飲めないのを知り、自由に、自宅で住んでいたときと少しでも近い環境を整えたいとさっそく行動に移す。さらに障害児を受け入れて欲しいとの要望にも応える。
「高齢者と障害者は対応がちがいます。高齢者はみな同じように年を重ねるなかで認知症をはじめとする病気が出てきます。一方、障害者はさまざまな障害があるなかでの個人になるので、より柔軟に動くことが求められます」
障害者が働く場とするためうどん屋をはじめ、湯浅さんは女将に収まった。好物のラーメンだとこだわりすぎてたいへんなので、嫌いなうどんにしたのだそうだ。東日本大震災の経験から、津波避難塔ともなる7階建てのビルを建てて施設とした。新型コロナウイルスで小中学校が休校になれば無料の学童保育をはじめた。こうして地域の声を取り入れながら、湯浅さんはやるべきことを見定めてきた。
「頼られているというより、自分が生かされているなと感じています。尾鷲から出て、ほかの場所でこの仕事をするつもりはありません。そんなことをしたら、自分がわからなくなります」
神奈川県で生まれ、小学5年生で尾鷲に引っ越してきたとき、標準語を話すことで不登校になるほどずいぶんいじめられた。困難なことを幼いころからたくさん経験し、一つひとつ自分で解決しなくてはならなかったことがいまにつながると湯浅さんは言う。
文・写真/増田 幸弘(編集者)