MARKETING MAGAZINE
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東海エリア探訪記
2020.12.16
地域貢献の壁[ 三重県 紀北町 ]
地域に貢献したい。熱い思いを胸に秘め、東京で働いていた東幸輝さんが生まれ故郷の紀伊長島に戻ったのは2012年のことだった。きっかけは前年に起きた東日本大震災。あのとき多くの人が強い衝撃を受け、自分にできることを社会に少しでも役立てたいとの衝動に駆られたが、東さんもそのひとりとして、継ぐつもりのなかった実家の魚屋を手伝いはじめた。
「大学を卒業してIT関連の会社に就職し、SE(システムエンジニア)をしていました。仕事で培った、相手の要望に応じてものごとを構築する能力が、きっと地域の発展に役立つと思ったのです」
マルヒ海産は昭和初期、東さんの祖父がはじめた地元の老舗。最初は紀伊長島の浜であがった魚を干物に加工し、それから魚屋をはじめ、食堂も併設した。時代に応じた工夫をすることで、店は大きくなっていった。だが、いつしか魚が売れにくくなっていた。
「魚を料理するとまな板が臭くなり、干物を焼くと煙が出るので嫌う人が増えました。時代の流れなので仕方ないのですが、東京で身につけた感覚を活かしたアイデアを、製造を担当する父に伝えました」
こうしてできたのが干物ではなく燻製であり、湯煎すればそのままおかずになる煮つけや味噌煮だった。いずれも料理をしなくてすむようになっている。また、「薫(かおる)干物」と名づけたシリーズでは、「ふんわりバジル」「香ばしカレー」「深みの黒胡椒」など、従来の干物とは一線を画す味覚を提案した。
販売にネットを活用し、宣伝にSNSを駆使したが、朝市という古風な場も大切にした。紀伊長島の魚市場では20年ほど前から第二土曜日に「港市」という朝市がおこなわれていた。多くの人が集まり、にぎわっていたことから、月に一回ではもったいないとの声が高まり、東さんを中心に、別途、「港朝市」を第四土曜日にはじめたのである。
「地域のことをもっと知ってもらいたいとの一念で、新鮮なカツオの刺身を振る舞ったり、タコの茹で方を実演しました」
東さんが司会進行をしてビンゴやカラオケをしたり、親子連れに釣り竿を貸し出した。ただ、あまりお金はかけられず、一斗缶でコンロを自作し、コンパネをテーブル代わりにした。ほかにも地域のスーパーが撤退すれば、自宅の庭で野菜を売った。それもこれも地元の役に立ちたいとの思いからだった。
しかし、がんばればがんばるほど空回りし、周囲の人たちとの考え方にズレを感じた。ついには6年あまりつづけた朝市から手を引き、野菜の販売もやめてしまう。なにごとも継続が大切だとたしなめる人もいたが、自分の負担が大きくなるばかりで、つづける意味を見出せなくなっていた。
「能力不足を痛感しました。それで人の顔色をうかがったりせず、まずは自分が楽しく生きりゃええやんというスタンスに変えたんです」
コロナ禍も後押しし、国を挙げて推進する地方移住のリアルが、東さんの経験からは透けて見えてくる。人に頼らず、自分の足で立つべきなのを覚えた東さんはいま、旅をしたり、好きなことをして充電中という。あまり周囲の同意を得られるものではないかもしれないとのことだが、どう乗り越えていくか、次なる展開が楽しみだ。
文・写真/増田 幸弘(編集者)