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特別企画
2025.12.16
名古屋飛ばし
1634年旧暦8月 「名古屋飛ばし」発生
大きなイベントやコンサートの開催、列車などが名古屋をスルーすることを「名古屋飛ばし」と呼ばれることがある。
1992年3月に東海道新幹線で「のぞみ」がデビューした際に一部列車がJR名古屋駅を通過するダイヤが組まれ、地元で社会問題化されたことが代表格だ。その「名古屋飛ばし」の元祖とも呼べるエピソードが江戸時代初期に起きた。
江戸幕府の3代将軍・徳川家光が上洛(じょうらく)の帰りに御三家の尾張藩の居城・名古屋城を素通りにして江戸に帰ってしまったという。1634(寛永11)年の旧暦8月のことだった。
もてなしの準備をしていた尾張藩初代藩主の徳川義直はメンツをつぶされ、「尾張に籠城し、安否を極める(一戦を交える)」と一度は謀反も考えたというが、最終的には思いとどまった。
家光は京に滞在中に江戸城の西の丸が全焼したとの知らせを受け、急を要していたという。
ちなみに御三家の中で唯一、将軍を輩出できなかったのが尾張藩だった。
出典『あっぱれナゴヤ!こんなにあるぞ日本一、日本初。』(中日新聞社発行/鶴田真也 中日スポーツ記者)

文:鶴田真也
プロフィール 1971年生まれ。浜松市出身。早稲田大卒。94年に中日新聞社入社。F1、大リーグ、プロ野球など担当。15年に『ドラゴンズ背番号ものがたり』、25年5月『あっぱれナゴヤ!こんなにあるぞ日本一、日本初。』上梓。現在もプロ野球を担当するなど多忙な毎日を送っている。