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ナゴヤ愛

2025.12.03

第28回
30回目を迎えた国内唯一の国際女性映画祭「あいち国際女性映画祭」の果たす役割

2025年9月、名古屋市東区の「ウィルあいち(愛知県女性総合センター)」で開催された「あいち国際女性映画祭」は第30回の節目を迎えました。

1996年、愛知県の男女共同参画社会を目指す拠点としてウィルあいちが設立され、その象徴的なイベントとして「あいち国際女性映画祭」が始まりました。本映画祭の目的は、女性監督や女性の映画関係者(作り手・スタッフ)を支援することです。

9月10日(水)にウィルあいちでおこなわれた監督等合同記者会見にて

記者会見で挨拶した大村秀章愛知県知事は「しつこく続けてきた結果、気づけば30回目を迎え、ほかの地域は女性映画祭を開かなくなりました。それでもしつこく続けていきたい」と述べました。というのも、本映画祭は、2012年に東京国際女性映画祭が終了して以来、日本で唯一の国際女性映画祭となっているからです。 

国際女性映画祭が愛知県で開催されて来た背景について、本映画祭のディレクターを務めるお2人、ミニシアター・シネマスコーレ代表・木全純治さんと名古屋国際工科専門職大学教授の佐藤久美さんに伺いました。

シネマスコーレ代表・木全純治さん(左)と名古屋国際工科専門職大学教授の佐藤久美さん(右)

名古屋の映画文化と映画祭に関わる人々

ミニシアターと名古屋の映画文化

「あいち国際女性映画祭」が愛知県に根付いた背景には、独特の映画文化があります。ミニシアター・シネマスコーレの支配人として、長年ナゴヤの映画文化を支えてきた木全さんは、こう語ります。

「愛知県には映画会社がありません。かつては配給会社のヘラルドがありましたが、東京へ移転(現在は角川ヘラルド・ピクチャーズ)しました。また、1983年に木下茂三郎が設立した、愛知県初の本格的な映画製作会社・キノシタ映画も今はありません」

このような「東京一極集中」の流れから、愛知県には「東京に負けない」という気持ちや反骨心が生まれました。ミニシアターが発展したのも、こうした時代の流れの中です。

「ミニシアターは地域文化を支える存在です。しかし、名古屋シネマテークや名演小劇場はすでになく、今はシネマスコーレと、旧名古屋シネマテーク跡にできたキネマ・ノイだけが残っています」

シネマスコーレは無休で、長年インディペンデント映画やアジア映画の上映を続けてきました。木全さん自身、ナゴヤの映画文化を支えているという強い責任感を持っています。

英文情報誌『AVENUES』と愛・地球博「フレンドシップフォルムフェスティバル」

一方、佐藤さんは、映画を通じて地域文化の発信や国際交流に取り組んできました。2025年の映画祭ではウクライナ問題に焦点を当てた映画上映とその後のシンポジウム「ウクライナからの声:避難民とともに歩む日本」が反響を呼びました。 

また佐藤さんは、1985年創刊の英文情報誌『AVENUES』(年6冊発行)の編集長を20年以上務め、廃刊となる2009年まで外国人スタッフと共に中部地域の文化や歴史、伝統などをを英文で発信してきました。 世界の人たちに伝えたい日本の文化とは何か、と考えたときに、自らの足元には素晴らしい宝がたくさんあることに気がついた、と語ります。

記者の一人だった、イギリス出身で現・上智大学教授のジョン・ウィリアムズ氏は、日本映画や小津安二郎監督が大好きで来日した人物です。彼に「名古屋に面白い映画館があるから取材に行こう」と誘われ、ミニシアターを取材したことが木全さんとの出会いにつながりました。

佐藤さんは木全さんと共に「2005年愛知万博一市町村一国フレンドシップ記録映画製作事業」を立ち上げ、プロデューサーに就任。木全さんはディレクターとして携わりました。21カ国から来日した映画監督たちが、愛知県内の各市町村に滞在し、万博時の交流をテーマにして21本のドキュメンタリー映画を完成させました。参加者は口をそろえて「日本に来てみたかった」「黒沢明監督を産んだ日本で映画が作りたかった」と語ったのだそうです。

佐藤さんは「彼らは映画を通して日本を見ている」と感じたといいます。映画は「文化を知る入口」なのです。

女性監督とジェンダー平等の現状

あいち国際女性映画祭では、女性監督の映画や女性の生き方を描いた映画を中心に上映してきました。

映画祭がはじまってから30年間で、ジェンダー問題は世界的に大きく変化しましたが、依然として女性監督の数や活躍の場が少ないのが現状です。1996年には日本の女性監督の割合は10%未満、現在でも約15%にとどまり、大手4社による映画製作では今も10%に満たない状況です。

2025年の第30回映画祭は、フランスの「クレテイユ国際女性映画祭」との連携が実現しました。クレテイユは1978年から47年の歴史を持つ映画祭です。

「フランスは、女性映画祭の先駆者であり、ジェンダー平等の先進国です。賃金も男女平等。国による支援が手厚いので、シングルマザーも子育てがしやすいんです」と木全さん。

2025年の本映画祭では、クレテイユ国際女性映画祭ディレクターのジャッキー・ビュエさんとオンラインでつなぎ、韓国・ソウル国際女性映画祭執行委員長ファン・へリムさん、日本の浜野佐知監督、三島有紀子監督が登壇し、女性監督の歩みや女性映画祭がつなぐ未来について意見交換を交わしました。

ジャッキー・ビュエさん(画面内)、右手:ソウル国際女性映画祭のファン・へリム執行委員長と日本の浜野佐知監督、三島有紀子監督、左手:木全純治さん(あいち国際映画祭ディレクター・進行役)

筆者もこの意見交換を聞き、女性監督が置かれている厳しい状況を改めて実感しました。

本映画祭で先行上映され、10月にニューヨーク国際映画賞5冠に輝いた『金子文子 何が私をこうさせたか』の浜野佐知監督は、50年前に女性が監督できた唯一のジャンルであるピンク映画(大手製作以外の成人向け映画)でデビューしました。そのため長年「監督の数に含まれなかった」と悔しさをにじませました。

浜野佐知監督(左)と『金子文子 何が私をこうさせたか』で主演を務めた俳優の菜葉菜(右)

2025年本映画祭のアンバサダーを務めた三島有紀子監督も、国内外で多くの賞を受けるメジャーな存在ながら「資金集めは常に大変」と率直に語りました。

2025年度あいち国際女性映画祭アンバサダーを務めた三島有紀子監督

ビュエさんによると、フランスでも女性監督の割合は25%程度で、目標の50%にはまだ遠い状況です。さらに、フランスでは男性の映画鑑賞者が減少し、女性観客が多数を占めているため、「女性が共感しやすい女性監督の映画を増やすこと」は重要な課題となっているそうです。

マイノリティと多様性—映画が社会にもたらす意味

最近の映画は、多様性やマイノリティ、難民などをテーマにした作品が増えています。その背景に、日本でも多文化共生社会を構築する上での課題が現れてきていることがあります。

これまで本映画祭では、日本に暮らす難民をテーマにした映画を上映して、監督や名古屋で難民支援をしているコーディネーターの方と話し合うシンポジウムを開催して来ました。「日本にも母国での迫害や紛争などから逃れて、難民申請をしながら私たちの隣人として生活している人々がいることを知ってほしいからです」と佐藤さん。

また、2024年第29回の本映画祭では、カナダに移住してチョコレート工場を設立したシリア難民を主人公にした映画『ピースバイチョコレート』を上映し、駐名古屋カナダ領事にカナダの多文化主義について話をしていただきました。

佐藤さんは、「映画を通して、世界の難民問題への理解を深め、共感の輪を広げていきたい。映画はマイノリティの視点や生きづらさを知るきっかけになる」と話します。

木全さんは「マイノリティへの支援やそれをテーマにするのは、現代社会では当たり前になりつつあります。映画祭としても、積極的にそのメッセージを発信したい」と力強く語ります。

愛知で「国際女性映画祭」が続いてきた理由

唯一の国際女性映画祭がなぜ愛知県で続くのか。佐藤さんは、木全さんの選定する良質な映画が映画祭を支え、多くのファンを惹きつけてきたことを強調します。

長年シネマスコーレの支配人を務めてきた木全さんは、「社会性とエンタメ性の両立がよい映画の条件」だと考え、それらを大切に映画祭の運営を続けてきました。
今後について木全さんは、「基本的な方針はこれからも変えません。ただ、プレミア上映を増やし、海外との連携も強化したい」と話します。また、人との直接的な交流を大切にしたいとの思いから、オンラインを多用するつもりはないそうです。

インタビューの舞台となった名古屋国際工科専門職大学のあるモード学園スパイラルタワーズ最上階からの眺め。名古屋城も見える

最後にお2人に「映画のもつ力とは?」と聞いてみました。

木全さんは、「人生を変える力となるもの。特に若い人には、たくさんの多様な映画に触れて欲しい」と笑顔を見せました。

佐藤さんは「映画は世界を知る窓です。映画を通じてさまざまな文化や社会問題に触れてほしい」と語りました。特にウクライナやパレスチナの難民問題などにも、映画を通して関心を持ってほしいと強く訴えていました。

映画祭は表面的な作品の供給だけでなく、社会課題に向き合い、多様な立場・背景への理解を広げる場です。ジェンダー平等やマイノリティ支援が十分とはいえない今、こうした文化的な取り組みが果たす役割は大きいといえます。本映画祭の歩みや現場の声を通じて、わたしたち一人ひとりが「映画が社会に問いを投げかける力」そして「問い」そのものについて考えるきっかけとなることを望みます。

(文・イラスト・写真)陽菜ひよ子