MARKETING MAGAZINE
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東海エリア探訪記
2022.12.21
“バズる”時代に見つけた自分らしさ
ひょんなことから「プルースト」という歌をSNSで知った。プルーストといえば20世紀を代表するフランスの文学者だが、肩肘張った歌ではなく、若い男女が互いの恋愛を思い起こす一コマをとらえた淡い心象を描く。
「“プルースト現象”という言葉を知り、“エモい”ことだと思ってつくりました」
と言うシンガーソングライターの山﨑くるみさんは今年、長らく住んだ東京から故郷の三重に戻り、山間の飯高町を拠点に活動をはじめた。SNSにアップする林道の木漏れ日や山並みの写真はいずれも近所の風景で、あえてフィルムカメラで撮る。
「現像するまで映っているかどうかわからない仕組みがいいんです。デジタルには出せない“エモさ”があります」
1998年生まれの山﨑さんにとって、物心のついたころにはフィルムからデジタルになり、スマホが急速に普及した。デジタルネイティブとして成長したZ世代がフィルムカメラやレコードを再発見して久しい。
幼いころから歌うことが好きだった。高校では吹奏楽部に在籍した。プロをめざして卒業後、メーザー・ハウスという音楽専門校でボーカルを学んだ。惜しまれつつ2020年に閉校したが、第一線のミュージシャンが教えるプロへの登竜門として知られた。
「学校というより養成所みたいなところで、行ってよかったと思います。ここでなかったら、つづけていなかったかもしれません」
プロになるとはオーディションを受けて音楽事務所などに入り、だれかのつくった歌を歌うことだと考えていたが、実際にはずいぶんちがった。そこで在学中、ギターと作詞作曲をはじめ、シンガーソングライターとして目覚めていく。
2018年に卒業してオトノグラムというバンドを7人で結成する。カバー曲を中心にYouTubeなどにアップし、都会的なセンスが人気を呼ぶ。窓の外に東京の街並みが見えるなど、映像にも凝った。「プルースト」はこのとき生まれた山﨑さんのオリジナルだ。
再生回数が20万台、30万台に達する動画もあり、「心に響く」「早くメジャーデビューを」「もっと伸びて欲しい」といった応援メッセージがたくさん書き込まれる。そんななか音楽学校で一緒だった瑛人がSNSで人気になり、2020年には紅白歌合戦にも出る。
「あまりにも売れた人が身近にいて、自分はどういう目的をもって音楽活動をしているのだろうかと考えてしまいました」
以前はレコード会社や所属事務所が仕掛けて売り出したが、いまは「バズる」ことが求められる。そのための努力をみんなでしてきたバンドは2021年、「芽が出なかった」と自ら判断して活動を休止。コロナで都外に住むメンバーの移動に規制があったり、ライブハウスが休業したのが大きかった。進学など各々のおかれた状況の変化も重なった。
そしてこの春、山﨑さんは「大好きな地元で、自分のペースで音楽をつくりたい」と、林業で働く父のトラックで帰郷し、アルバイトを掛け持ちして音楽をつづける。ときどき東京でもライブをし、Podcastで同級生とたわいもないおしゃべりを発信する。
「通勤の車中で歌っているので、歌がうまくなったかなと思います。東京だとスタジオを借りないと声を出せませんでしたから」
売れるよりもどうつづけるかだと模索する山﨑さんはすっかり肩の力が抜け、とても楽しそうなのである。
文・写真/増田 幸弘(編集者)