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東海エリア探訪記

2020.10.28

ノリ漁師として就職氷河期を生き抜く[ 三重県 紀北町 ]

仕事の指示が的確で無駄がない。「土木の経験が活きていると思います」と言う西村友一さん。

 このままでは自分のイメージしていた大人像に近づけない――。それが家業でもなんでもないノリの養殖を西村友一さんがはじめる、いちばんの動機だった。
 1979年に生まれ、親族の経営する土建屋で働く父ら大人たちのうしろ姿を見て育った。30人近い大工を抱える地元で有数の老舗で、バブル景気に沸いていた。いいクルマに乗りたくて乗るのではなく、普通に乗れるものだと思っていた。西村さんもゆくゆくはそこで働くつもりで、一度は社会に出た方がいいと言われたことから専門学校を卒業後、名古屋の会社で店舗のデザインや施工管理の仕事をした。モノがあふれ、出会いの多い都会への憧れもあった。
「ちょうど就職氷河期という言葉を耳にするようになった時期でした。身を粉にして働いても月20万円を稼ぐのがやっとで、ボーナスは出ません。利益計算すると十分に売り上げているにもかかわらず、こんなことでは結婚もできないと途方に暮れました」 
 手伝ってくれと言われ、地元に戻って土建屋で働きはじめたのは27歳のとき。しかし、公共事業の単価は下がり、従業員は高齢化。子どものころの勢いは見る影もなく、閉塞感に満ちていた。あるのはバブル崩壊にともなう借金だけで、手の打ちようがなかった。
「経営者のせいにしても仕方ないですし、社会や時代のせいにして生きるのもいやでした。そんなときにノリ漁師と出会いました。後継者を探していて、やってみないかと声をかけて回っている方がいたのです」
 矢口浦は紀伊半島東部につづくリアス式海岸の一角を占め、カキの養殖が盛んな白石湖と隣合わせる奥深い入り江である。もともと30軒ほどいたノリの養殖業者は、7軒にまで減っていた。真珠の産地としてアコヤガイなど母貝の養殖も盛んだったが、いまは1軒もない。ノリといってもあおさのりと呼ばれる緑色のもの。この浦でノリをつくろうとすると黒いノリにはならず、混じることもないため、質のよいあおさのりができる。香りがよく、味噌汁の具や天ぷらなどに好まれる。

9月ごろに種付けをして収穫のピークは冬。袋に詰める出荷作業は春までつづく。

はじめて最初の1、2年、「親方」と西村さんが呼ぶ人のやり方を見よう見まねで仕事を覚えた。この時期のこんな気候のときにこうしたことをやるということはあるにせよ、知識より身体の使い方が肝心だった。海の上で杭を打つのに、流されないようにふんばる必要があるのだ。
「いまだわからないことだらけです。自然相手なものですから、工程を組み立て直さざるをえないことがあります。気持ちをいつもフラットにしておかないと、台風など突発的なことにうまく対応できません」
 あおさのりを通じ、西村さんはなにもないと思って出た生まれ故郷に実はいいものがあったのだと気づかされる。ネット通販の発展でモノをめぐる地域格差が減った。人との出会いも年を重ねるにつれ、だれとでも仲よくなれるわけはなく、十本の指で数えられるほどの人との関係を大事に生きていく田舎もいいと思えてくる。
「やることはしっかりやっても、どうしてもわからない部分や、カンに頼る部分が出てきます。豊漁祈願の本来の意味はたぶんそういうことで、海に生かされている日々をただただ感謝しています」
 仕事と地域の祭事が深く結びついているのを知ったと西村さんは言う。稼げるようになって自分に自信がもてたことから、30代後半で結婚もした。迷いなく前を向く姿勢に男気を感じた。

文・写真/増田 幸弘(編集者)