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東海エリア探訪記

2019.04.19

地元の味が全国区になるまで
【三重県 紀北町】

白石湖の穏やかな水面に浮かぶ筏に立つ畦地宏哉さん。滑って水に落ちることもあるそうだ。

 紀伊半島の海沿いは志摩から熊野にかけて、小さな湾の入り組むリアス式海岸がつづく。紀勢自動車道を走っているうちはよいものの、海岸線に出た途端、方向感覚を失うほど地形が複雑だ。白石湖はそんな海岸にある汽水湖で、船津川が流れ込み、河口付近で銚子川が加わって熊野灘へと注ぐ。「このあたりは降水量がとても多く、汽水湖といってもほぼ真水になることがあります。環境変化が激しいため、ここで生まれたカキしかここでは育ちません。よその稚貝では死んでしまうのです。」

 白石湖でカキを養殖する畦地水産の畦地宏哉さんは言う。このため7月から8月にかけての夏の時期、稚貝をとることから渡利カキの仕事ははじまる。「渡利」は住所では省略される地区の名前で、急な坂道を下りた湖畔に張り付くように畦地さんの作業小屋はある。稚貝は2週間ほど水中を自由に浮遊したのち、硬いものに付着する性質がある。それを利用してホタテ貝の貝殻を筏の下に吊るし、そこにつくようにしている。採苗から出荷までを同じ場所で一貫しておこなう産地は全国的にも珍しいのだそうだ。

 名古屋の大学で経済を学んだ畦地さんは卒業後、大手メーカーに就職する。父親からは3代つづく家業を継がなくてもいいといわれていた。白石湖でカキを養殖する業者は数えるほどで生産量も少なく、ほとんどが地元で消費されてきた。寿司ネタになるなど、現地に行かなくては口にできない「幻のカキ」として知る人ぞ知る存在でもあった。旨みが強いわりに癖がない、ほかにはないカキだからだ。

 転機は父親が倒れたときに訪れた。ほどなく出荷できるカキをそのままにしておくのはもったいない。治療費も要る。それで船の免許を取り、父親と仕事をしていた母親の手伝いをはじめる。平日はサラリーマン、土日は養殖に取り組む二重生活だった。休みなしに働く日々を5年もつづけたある日、このままでは身体がもたないと思い、カキづくりに専念する。このとき畦地さんは35歳になっていた。

 「つい言いたいことを言ってしまい、会社組織にはなじめないところがあり、大きな決断をしたとはあまり思いませんでした。ただとにかくお金の面で回していくのがたいへんでした。遊んでいたら入ってこないのはもちろん、猛暑だと稚貝がたくさん死んでしまうなど、自然相手はなにが起きるかわからないからです。」

 ノロウィルスが流行ったときは大きな試練を迎えた。価格が低迷したうえに出荷量が減り、業者に買い叩かれた。それも自然相手の商売だから仕方ないと納得していたが、店頭には例年と変わらぬ値段で売られ、いつものようにお客さんが喜んで買っていく光景をたまたま見てしまった。そのとき市場に翻弄されないためにも、ブランド化が欠かせないと強く思った。同じ三重県の産地でも全国的に名高い的矢に比べ、渡利のカキはあくまで地元の味だった。そこで同業者が力を合わせて「渡利牡蠣まつり」を企画するなど、努力を重ねてきた。
「安くしないと売れないと思っていた人も、次第に自信をもつようになりました。」

 畦地さんは誇らしげに振り返る。安いものを欲しがる人は安いから買うのであって、リピーターにはならない。ネット販売が定着するこの10年の変化を見てきた畦地さんの観察だ。

文・写真/増田 幸弘(編集者)

ホタテの貝殻についたカキの稚貝。渡利カキは小粒で、黄みを帯びる。グルタミン酸が多い証だ。