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INTERVIEW

TOKYO2020での日本のメダルラッシュに貢献

2021.12.14

ーー 東京オリンピック・パラリンピックでは、日本体育大学の在学生と卒業生から70名を超える選手が出場し、オリンピックでは金メダル3、銀メダル4、銅メダル3、パラリンピックでは金メダル1、銀メダル4、銅メダル2、総勢17名ものメダリストを輩出されました。これは、大学として他の追随を許さないご活躍です。まずはおめでとうございます。

今村 ありがとうございます。日本体育大学では、在学生だけでなく、阿部一二三くんや内村航平くんなど、すでに卒業して企業に所属している選手にも練習施設を提供しました。また、今回の東京大会はコロナ禍での開催ということで、これまで頑張ってきた選手たちが晴れ舞台で力を発揮できるよう、練習においては徹底した感染防止対策を実施しました。全学を挙げてサポートした結果、一人の感染者も出さず、日本のメダルラッシュに貢献できたことを嬉しく思っています。

世田谷キャンパスのスポーツ棟の廊下には、北島康介選手や白井健三選手、谷亮子選手など、歴代のメダリストのパネルが展示されている。

ーー 新型コロナウイルス感染症の対策について話が出ましたが、大学という場所は学生や教員が多く集まる場所であるだけに、日頃から感染対策もご苦労がおありだろうと思います。学生が安心して学ぶことができるキャンパスづくりについて、どのようにお考えでしょうか。

今村 このコロナ禍で、授業のオンライン化を急いで進めた大学は多かったと思いますが、私は20年ほど前に、大学ですべての授業をオンライン化するプロジェクトに携わったことがあるので、オンライン授業導入については戸惑うことなく進められました。ただ、本学のような体育大学の場合、授業も入学試験も対面での実技があります。これについては、厳しいガイドラインを設けるなど、より一層の感染対策に取り組んでいます。

ーー 20年前にオンライン授業を導入したというのはかなり先駆けていたのですね。コロナワクチンの接種についても、学生や教職員に対していち早く集団職域接種をされたと聞きました。日本体育大学以外で職域接種が早かった大学は、医学部を併設している大学ばかりです。医学部がないなか、なぜこうしたことが可能だったのでしょう。

今村 日本体育大学はもともと創立以来、体育学部だけで運営してきましたが、この数年間で4つの学部を設置しました。そのひとつが保健医療学部で、研究科長を務めるのは、東京オリンピック・パラリンピックで救急医療の責任者だった横田裕行教授です。これに加え、キャンパス内にクリニックを併設していたため、今回のコロナ禍のなかでもワクチン接種のための医師や看護師、救急救命士を揃えることができ、14,984本ものワクチン接種をスムーズに進めることができました。

ーー オリンピック期間中の7月27日の中日新聞朝刊とパラリンピック期間中の8月29日の東京新聞朝刊で広告をご出稿いただきました。青地に白いロゴという印象的な広告でしたが、どのようなデザイン意図があったのでしょうか。

今村 日本体育大学の場合、もともと体育大学として知名度が高いため、必ずしも大学らしい広告である必要はありませんし、情報を細かく載せるよりも、シンプルで目を引くデザインのほうが広告効果は高いと考えました。ブランド力のある企業広告を見ると、デザインもシンプルで、しかも時代によってあまり変化しませんよね。私が印象に残っているのは森ビルさんの記事中広告で、ロゴだけのシンプルなデザインが半世紀以上も続いています。こうした広告を参考に、スクールカラーの青地に白でロゴを配し、グループ10校については名称の横に二次元コードを掲載するにとどめました。シンプルさがかえって目立ったのか、結果的に大きな反響をいただき、5段広告ですが一面広告に匹敵するような効果があったと思います。

シンプルなデザインがかえって目を引き、大きな反響があったという、今村氏のこだわりが詰まった広告。

ーー 大学の常務理事というお立場ですと、直接的に広報に関わることは少ないと思うのですが、そうした広報戦略はどうやって会得されたのですか。

今村 私は母校の中京大学卒業後、そのまま大学に残って入試広報の仕事を担当していた時期があり、当時は新聞広告の勉強会に行ったりして、企業又他大学の広告も普段から意識して見ていました。また、先ほどオンライン化についてお話しした大学でも、事務局長として新学部の設置やブランディングを担当しておりました。そうした積み重ねが自分なりの広報や広告の考え方になっているのかなと思います。それと、私は「すべてやってみなければわからない」という人生哲学を持っておりまして、広告も最初から「こうあるべきだ」という固定観念はあまり気にせず挑戦しています。


世田谷キャンパスのスポーツ棟1階に展示されている跳馬は、1964年の東京大会で山下治広選手が使用したもの。岐阜県で保存されていたものが日体大に寄贈された経緯を説明する中日新聞の記事が一緒に展示されている。

ーー いくつかの大学において中日新聞に広告をご出稿いただいたという話もお聞きしていますが、そんな今村様から見て、新聞、あるいは新聞広告の役割はどのように見えていますでしょうか。忌憚のないご意見を伺えたらと思います。

今村 メディアのデジタル化が進んでいますが、紙媒体である新聞の重要性は変わらないと私は思います。テレビやインターネットで流れる広告と違って、新聞広告は紙だからこそじっくり見ることができるという良さがあります。また、広告は新聞社にとって、収入面で経営基盤のひとつだと思いますが、私のように広報をやってきた人間にとっては、記事と並んで新聞の根幹を支えているのが広告だという思いがあります。広告には社会や世相が反映されていますし、そこから何かヒントが生まれることもあり得ますよね。そういう点で広告には大きな期待がありますし、日本体育大学としてもぜひまたお願いしたいと思っています。

ーー ご期待に沿えるように頑張ります。本日は貴重なお話をありがとうございました。

日本体育大学の起源である日本体育会が「體育富強之基(たいいくふきょうのもとい)」を基本理念に掲げて創立されたのは1891年。今年は創立130周年に当たる。写真の像は創立者の日高藤吉郎氏。

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